N.G.J. N.G.J.ホーム LIVE! スケジュール N.G.J.のあゆみ NGJ試聴できます N.G.J.人物像 N.G.J.博物館
N.G.J.のあゆみ 1991〜2011
〜10年ひと昔とはいいますが  by 高橋 聡 〜


'01. 4.29 ユーメイホールにて
[1] ヴォーカルの冨田久美、トランペットの山本ヤマ、ピアノの高橋 聡の3人は新宿「ピット・イン」のピック・アップ・ライブをきっかけに、'91年ごろからライブ活動を共にしていた。
冨田家で食事をごちそうになるなど、仲良く、理想に燃えた若い3人だった。
[2] '95年、「YOU MAY HALL」にカルテットで出演した(b:高瀬 裕)。
この出演は、軽く考えていたもので、定例化するとは当時の3人は思っていなかった。が、毎年そこでライブを頼まれるうち、編成に工夫を加えていく。
[3] '96年は川崎 聡(b)冨樫善也(ds)とのクインテットで出演。このときはスタンダードと童謡を演奏した。 [4] '97年はさらにアレンジを重視した演奏を目指し、
渋谷盛良(b)野村綾乃(ds)忍田耕一(tb)とのセクステットで出演。
渋谷は揺るぎないビートと深い音色を持つ唯一無二のベーシスト。野村は明解でメロディアスなプレイをする名ドラマー。忍田は山本のバンド「山ちゃんとBig Q&A」のメンバーで音も体も太く大きい素敵なトロンボーン奏者。
このときから高橋のオリジナルも演奏するようになった。
[5] '98年は渋谷盛良(b)山口新吾(ds)静谷昌治(as)とのセクステットで出演。
山口はしっかりした若者で、音楽に対し真剣な姿勢のドラマー。静谷は落語を愛し、わび、さびの効いた美意識を持つサックス奏者。
様々な美意識が交錯する演奏となった。
[6] '99年は渋谷盛良(b)山口新吾(ds)静谷昌治(as)忍田耕一(tb)とのセプテットで出演。現在のヴォーカル+3管+ピアノ・トリオのフォーマットに落ち着いた。
3管で色彩豊かなアレンジが表現できるようになった。
[7] '99年には川崎「ぴあにしも」に出演。好評を得た。
ただし諸事情により現在出演休止。
[8] '00年5月からアルトの立花秀輝が静谷に代わって入団。
市川の「りぶる」に毎月1回のレギュラー出演を開始。
端正な静谷とは180度以上違う立花のプレイにバンド内は騒然、大混乱となる。が、聴いてもらえば分かるが、バンドはよりパワー・アップし、多彩な輝きを増したので、これもまた良しとする事となった。
静谷はジャズ通好みのプレイだが、立花は、子供やお年寄り、または異星人にもアピールする力を持っていると言えよう。
[9] ドラムスは、進境著しい山口新吾、繊細でつぼを得たプレイの長谷陽介、野村綾乃らと共演し、 ここのところ野村に定着。野村と渋谷、高橋のリズムセクションのコンビネーションは最高。重厚にスィングしている。 [10] '01年6月、迷物マスターで有迷な池袋「マイルス・カフェ」に出演。
諸事情により、再出演の予定は今のところない。
池袋は忍田、立花、冨田にとってアクセスが容易で、地の利的には捨てがたく、また出演したい希望はある。
[11] '01年9月22日には名門ジャズ・クラブ「B Flat」に出演。
79名のお客を動員。どうもありがとう。
冨田の、なんの打ち合わせもなく唄ったブルース等、予定外の名演も飛び出した。
[12] '01年末は充実していた。市川りぶるにて12月23日ライブ、高橋のアレンジによる"Silent Night"( 邦題:「サイレンと夜」)は暗い世相を反映してかショッキングな演奏だった。りぶるでの当バンドとしては記録的な客入りで一人当り¥2.700のギャラを得、よいイブイブとなる。
大晦日も同店でしごとおさめ。メンバー7人、そして常連さんも常連ぶりを発揮、共にすごしてくれた。ついに、大晦日はこたつで紅白よりりぶるでNGJの時代となった。
[13] '02年7月1日、入谷に新しく出来たライブスポット「なってるハウス」に立花の紹介で出演。好評を博す。
ちょっと駅から遠いけどいい店だった。
[14] プレイヤー間のインター・プレイは格段に反応が良く、かつ内容も充実してきた。またユーモアを感じさせる余裕が生まれ、音楽の幅も広がった。高橋の作曲については、空中楼閣、覇王、崩壊、豹変、と意欲作を次々送り出している。冨田の歌ものは、Its' You Or No One、あんたがたどこさ、とまと、等、注目すべき名演を続けている。
[15] '02年9月8日(日)昨年に引き続き「B Flat」に出演。好評を博す。「覇王」の演奏中、忍田に「ハオ〜!」と、掛け声が飛ぶ等、白熱したライブだった。みなさんどうもありがとう。この日、主にりぶるでのライブで録り溜めた音源を元にCD「N.G.J. LIVE!」を発表し、20枚以上を販売した。 [16] 現在毎月一回、市川「りぶる」でライブを積み重ね続けている。最近の注目すべき演奏として、冨田のアレンジによる「もみじ」が挙げられる。シンプルだが印象的なアレンジ。そしてシュールなメンバーのソロ。
[17] '03年3月27日(木)名門ジャズ・クラブ「B Flat」に出演。この一週間前にイラク戦争開始。急遽演奏予定外だった「覇王」を演奏、高橋がイラク戦争に対する声明も述べる。
またこの日は誕生日を迎えられたバナの母上が見えて、バナは大張り切り。N.G.J.ならではのこれまたシュールなアレンジの「HAPPY BIRTHDAY」を演奏。今どき珍しい親孝行な若者である。
2枚目のCD「N.G.J.LIVE! vol.2」を販売。
[18] '03年9月27日(土)代官山「クラシックス」に出演。新曲「ゆくものは斯くの如きか」等を演奏。
演奏は好評を博したが、この日タイミング悪く中央線が高架工事のため三鷹〜立川間が不通となってしまったため、集客的には成功とは言い難い。 
[19] ホーンセクションのみなさんは、ここのところ海外での活躍や家庭の事情など、それぞれに喜ばしい訳ありで毎回3管揃い踏みとなるとは限らない。が、NGJはそれでもなおうた+ピアノトリオ+2管または1管という編成で可能な限り演奏の機会を確保、りぶるへの出演を続けている。おかげでアレンジに幅が出来、フレキシブルな編成に対応する力も備わってきたと言える。 [20] '05年4月29日(金)東大和「YOU MAY HALL」で演奏。年に一度のこの公演はなんと10回めとなる。地元新聞販売店の協力もあり毎年満席。
今年の公演はバナがツアーで不在のため、新鋭トロンボーン奏者・金子泰子氏に参音いただく。ブラス・セクションの柔らかい音色が良く混じり合い、ハーモニーの美しさは絶品であった。
[21] トランペット山本の子どもが乳児から乳幼児へと成長。そのためりぶるでのライブには連れて来ることも出来るようになった。ただ機嫌が悪くなると山本にすがりつきラッパを奪おうとする。 [22] '06年2月、私達にとって衝撃的なことが起きる。毎月一回のライブを6年近く続けてきた市川のライブハウス「りぶる」が突然の休業。マスター須田さんが2月20日を最後に行方不明になってしまった。マスターは体調が非常に悪かった。警察が捜索中だが今もって安否も不明。あの多彩なバンドを配し豊富な料理を備え、世紀末のうらぶれたパブのようで、真冬でも強烈にエアコンが効き、はっきりいって暑かった「りぶる」でライブが出来ないなんて。できればお店が再開してくれることを願うが、今後ライブ拠点を探してゆかねばならないだろう。何事も変わらずにいつまでも続く事はないということを考えさせられる。
[23] '06年4月29日(土)東大和「YOU MAY HALL」で演奏。満席。前回同様、馬見塚さんに録音・CD製作を依頼。演奏内容も充実。「みどりの日」ということで冨田が会場で「木」についてクイズを出題するなど楽しいコンサートだった。 [24] '06年7月27日、新宿「J」にてライブ。
りぶるに代わる新天地を求め、「J」の幸田さんにアタックしたところ、快諾していただいた。30人余のご来場いただいた。心地よい緊張につつまれ力演した。お店のスタッフにも好評。たまたま訪れたカナダ人親子にも大うけし、葉巻きをもらったり飲み物をごちそうになったり。
[25] '06年10月30日、新宿「J」にて2回めのライブ。 「J新聞」に高橋がNGJの紹介記事を書かせてもらい掲載される。それを読んで来場してくださったお客さんもおられたそう。7月のライブよりもリラックスでき、インタープレイも充実。 [26] '06年12月2日相模原「メイプル・ホール」でライブ。 ベース渋谷さんからの紹介。
ホールが入っているビルのリフォームがあって、リフォーム完成のこけら落とし演奏の予定も、工事がまだ終わっていず、ブルーシートや鉄骨に覆われたビルの中でのライブ。ロフトみたい。
メンバーはバナがお休みで6人。
ピアノはヤマハのフルコンで、とてもきれいな音色。ホールは音がライブで菅のアンサンブルが豊かに響いた。
終わってからは同じビルのイタリアンレストランで打ち上げ。 スパゲティおいしかった。
[27] '07年4月29日、
YOU MAY HALLにてライブ。光のどけき春の日、我々のロマン溢れる演奏が心地よく響いた。今年から4/29は「みどりの日」から「昭和の日」へと、よりイデオロギー対立を引き起こしそうな名称に変更された。どうしてこう要らない事をするのだろう。
今回も馬見塚氏によりCDがライブレコーディングされた。サチヲ氏と山本ヤマ氏の共同デザイン(正確には、サチヲ氏デザイン原案、山本ヤマ氏修正・編集)のジャケットがぷりてぃなCD完成。遠慮なくお求めください。¥2000也。
[28] '07年7月30日、
沼袋Organ Jazz倶楽部にてライブ。バナお休み。新曲「金城湯池」披露。P.A.は最小限にして生音に近い状態でやらせてもらった。うまくバランスが取れたと思う。
[29] '08年8月2日、
アケタの店☆初出演☆
訳ありで、少々変則的なメンバーで 西荻窪「アケタの店」に出演。たくさんの方にご来場いただきありがとうございました。tp山本ヤマのバンド「スマン」でおなじみのtenor sax奏者・筒井洋一くんがN.G.J.に参加して真摯で熱い演奏を聴かせてくれました! リーダー高橋のMCますます冴えわたる夏の夜でした。

アケタの店の島田さんによるライブ写真はこちら→LIVE&LIVE!
[30] '08年12月17日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。年末のこの日、外は冷たい冬の雨でしたが、多くのお客様にご来場いただき、古くからのお客様も見えておかげさまで大盛況。会場は熱気に溢れていました。この日は少し古いレパートリーの「空中楼閣」を演奏。新アレンジで装いも新たに、不気味で幻想的な空中楼閣を浮かび上がらせることが出来たと思います。この日は全員一丸となって火を吹くような演奏を繰り広げ、N.G.JAZZを前進させました。演奏時間も長く、2セット目は終わってみれば1時間半もやっていてびっくり。お客さんも食傷気味だったかと存じます。また新たな日本史の一ページを作りました。おかげさまで良い2008年のラストライブとなりました。 「きよしこの夜」はとても きよい響きで、心が洗われるようでした。
[31] '09年3月2日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。
[32] '09年4月29日、
YOU MAY HALLにてライブ。
[33] '09年6月15日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。
[34] '09年12月30日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。新曲「JAZZ LOVE HOUSE」
[35] '10年4月7日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。古典落語に捧げる新曲「芝浜」を披露。
[36] '10年4月29日、
YOU MAY HALLにてライブ。この日、ツアーでお休みの立花に代わって、増田弘美さん(as)が出場。そのあまりに美しい音色とキレのよいフレージングで場内を圧倒。ハモリもバッチリだった。同じ楽器なのにこんなにも違うかと思い知らされた。高橋は和服で出場。「芝浜」演奏前に落語の最後のくだりを一席熱演。夫婦愛を説いた人情噺に場内からは次々すすり泣きが。
[37] '10年8月4日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。
[38] '10年11月4日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。
[39] '11年2月7日、
OrganJazz倶楽部にてライブ。古典落語に捧げる新曲「大工調べ」お披露目。
[32] '11年4月29日、
YOU MAY HALLにてライブ。3月の震災があり、危ぶまれながらも無事開催。
N.G.J. N.G.J.ホーム LIVE! スケジュール N.G.J.のあゆみ NGJ試聴できます N.G.J.人物像 N.G.J.博物館

N.G.J.のホームページ

(c)2001~2009 by N.G.J.
WARNING: All Rights Reserved.

e-mail:NGJ
inserted by FC2 system